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第44回IC国際フォーラム 2022-11-3(於:国連大学=東京・青山)セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使講演録(全文)

更新日:1月25日

     



国際IC日本協会主催の「第44回IC国際フォーラム」(2022年11月3日)において、駐日ウクライナ大使が講演されました。

当日は、会場で51名、オンラインで31名、合計82名の参加者が大使の話に熱心に耳を傾け、その後の質疑応答も熱を帯びたものとなりました。

ご多忙の中、当協会のためにお時間を割いて頂き、ご講演頂きましたセルギー・コルスンスキー大使閣下に厚くお礼申し上げます。

以下、大使のご講演録全文です。




第44回 IC国際フォーラム 基調講演


日本人と世界が、ウクライナから学ぶこと

講師:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使


皆さん、お早うございます。

駐日ウクライナ大使のセルギー・コルスンスキーです。

本日は休日にもかかわらず会場にお越し下さり、あるいはまたオンラインで、ウクライナの話を聞いて下さるということで、とても有難く思っております。


1991年にソ連が崩壊して、ウクライナが独立国家になった当初から、私は国家公務員としてウクライナ政府の仕事に就きました。

当時から、ウクライナの安全保障政策については論議があり、私も良く覚えているのですが、独立したウクライナの主権と国境を、周りの国々は勿論のこと世界中の国が承認してくれました。

当時は、独立を脅かすような脅威やリスクは見当たらない状況でした。リスクがないということで、ウクライナは軍隊の人数を急速に削減し、核兵器を放棄し、先端技術を用いた航空戦力も廃棄しました。今は同じ軍用機を、ロシアがウクライナへの攻撃に使っています。

ソ連時代から、ウクライナは弾道ミサイルや戦車を作っていたのですが、独立以降それらの兵器及び兵器製造工場を不要として廃棄・閉鎖したのです。

実は、ご存知の人は少ないと思いますが、ソ連圏で核兵器が初めて開発されたのはウクライナでのことでした。弾道ミサイルも最も性能が良いものを開発したのは、ウクライナの技術者でした。


ソ連が崩壊した後、平和な、武器のいらない国として、また敵対する国がない国として、経済成長と国民の生活水準の向上に焦点を当てて30年間発展してきました。

ただこの30年間は、結構難しい歩みでした。全ての計画がうまくいったわけではありません。汚職とかオリガルヒの問題もありました。

そのような中でも誇れる成果として、食糧自給率が100%になったことが挙げられます。また、外国への食糧輸出でウクライナがトップとなる品目も数多く出ました。航空機の開発も進み、道路などの社会インフラも整備されました。特に金融サービス部門では、ヨーロッパ各国とも十分に競争できるほどの力をつけました。

そういう状況の中で、2014年にロシアは、ウクライナからの挑発など何もないのに、クリミア半島を占領しドンバスと言われるドネツク州とルガンスク州の一部を占領しました。

つまり、ウクライナにとって、戦争が始まったのは今年の2月24日ではなく、8年前の2014年2月26日だったのです。

あの時は、覚悟ができていませんでした。けれども、今年はロシア軍を止めることができました。現時点では、一時的に占領された地域の奪還に入っています。必ず奪還します。


ここからは、これまでの8年間に私たちが学んだ教訓について共有したいと思います。

【Lesson1 これまで作り上げたものは破壊された

【Lesson2 愛する人は一瞬にして殺された

【Lesson3 大切なものは一瞬にして消え去った】 

【Lesson4 北朝鮮とロシアの行動には直接的な関係がある

最後になりますが、皆様から様々なレベルでウクライナに対する支援を頂いていることに感謝申し上げます。

特に今日の主催者である国際IC日本協会、またAAR-Japan及び国際赤十字社経由で支援を頂いている日本赤十字社並びにその他の慈善団体に対しましてお礼申し上げます。

(日本語で)ウクライナへの支援に感謝しています。

      ご清聴有難うございました。


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